ステンダース日本上陸ストーリー

店舗は2007年5月半ばにオープンしましたが、話が持ち上がったのは2006年でした。
それまでは、きっかけの連続でした。何がどこでどうなるか分からない、そんな連続。
アジア1号店がオープンするまでのストーリーをご紹介しています。

2005年10月 日本からドイツのNATO空軍基地へ

横浜にある海外引越専門会社に勤務していた時に担当したイギリス人のお客様、ポールからオファーを受けて、2005年10月にドイツにあるヨーロッパ最大のNATOと米軍共用の空軍基地に発ちました。空軍基地は3万人が働き、ホテル、病院、学校、スーパー、ジム、教会まである1種の町の規模です。外にあるモデル車を見に来る軍人さんに話しかけて、売り込む営業販売。毎日外に立って車に寄ってくる軍人に話しかけていました。

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ドイツ行きへのきっかけとなった
イギリス人のポール(一番右)

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いろいろな国からやってきている同僚達

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販売していたアメリカ車やハーレーのバイク

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オフィスの前。冬には1時間おきに雪かきをしていました。

2006年3月 ラトビア空軍大尉 ガティスとの出逢い

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ある日、話しかけたお客さんが、車好きなNATO所属のラトビア空軍大尉であるガティスでした。

話していると、日本食が大好きでよく食べに行くから一緒に行こうと誘ってきました。ラトビアといえば旧ソビエトだし、KGBとか関わってて誘拐とかされるかも!しかも日本人を和食に誘うのは地球の歩き方にも載っているだましの常套手段・・・・。警戒態勢に入りました。それからは、ショールームに毎日のように現れて話していくようになりました。

怖いので周りの人達のチェックの末、軍に所属していることで身元も割れるとのことで、警戒を少し緩めて友達になりました。 ラトビアに帰るたびにお土産をくれるのですが、それがステンダースのバスボールと石鹸。ドイツの冬はマイナス10度で、いつも外で震えながら立っている私に、「ゆっくり温まりなさい」とのことでした。

ドライフラワーがたくさん入っているので、最初は何をもらったのかよくわからず、しかも石鹸にはへちまが入っているので使い方が最初よくわかりませんでした。香りはとても良かったのですが、肌の弱い私は、荒れることを心配しながら恐る恐る使いました。荒れるどころか保湿がしっかりされて、お肌がもちもちになったのです。彼はステンダースが大好きで、ステンダースの店舗の美しさを、目の前にあるかのように話し、 写真まで撮ってきて見せてくれました。

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見せてくれた店舗の写真

2006年6月 日本にステンダースの店舗?!

2006年6月、ステンダース商品を日本で売れないかとの話をするようになりました。
3万人のうちのたった一人のラトビア人と、たった一人の日本人が出逢う確率の希少さも、
何かあるかもしれないとお互い感じました。

私がドイツに行ったのが10月、出逢ったのが11月。2月から5月に彼はアフガニスタンに駐在。
タイミングがずれると出逢っていなかった2人です。 空港に送ってもらった搭乗直前までビジネスの話を語りあいました。日本なんてラトビアから見ると地球の裏、しかも、軍人しかしたことのない彼は「ビジネス」という言葉の響きにさえ目を輝かせていました。

帰国して2ヶ月たった10月のある日、彼が大興奮で電話をかけてくれました。
「幼なじみが投資するから、フランチャイズ権を買って店を出そう!」
店舗??怖い・・・しかもどうやるのか私はさっぱり分からない。
そこから、恐ろしい準備がスタートしました。

2007年5月 大阪のオフィスエリアにアジア1号店をオープン

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アジア1号店の大阪本店がオープン

まだまだストーリーはたくさんありますが、これがステンダース・ジャパンの始まりです。
横浜からイギリス人に連れられていったドイツの空軍基地で、ラトビア人と日本人が出逢うという、
奇跡のような確率から始まったお店。

人生どこで誰に出逢って、どうなるか分からない。
でも、こうなりたいと思い続けること、人とのかかわりを大切にしておくと、
かかる時間は人それぞれですが、その方向に向かって人は進んでいくと思います。

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